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マイナス4度の釜石にて 

 スタッフAちゃんのご両親を探しに物資と一緒に釜石へ。
男手が必要なことも考え長男も一緒。

車中の話題は他愛のないものばかり。
おむすび食べたり、釜石の思い出を聞いて笑ったり。
そうしていないと気持ちが保てないからだ。

道中、陸自をはじめとする沢山の支援車両とすれ違い
中には大分ナンバーの救急車や外人部隊も。
本当にしみじみ心強い。

ご両親の集落の人たちが多い避難所を4か所まわる。
インフルエンザなど感染防止のため
避難者リストで名前を確認できないと中に入れない。
今朝も新聞をくまなくチェックしたにもかからず
改めてリストに目を凝らす。
結果がわかってるとはいえ何度も何度も探さずにはいられない。

ない、どこにもない。

釜石のこのあたりは報道で知らされた無残な被災の気配はまるでない。
まだ、現実感がわかない私たち。
近くに居を構えているという叔父様宅にいったん立ち寄る。
かつて消防団員だったという彼は引退して10年たつというが
理路整然と事態を整理し、今後とるべき行動を示してくれる。

ここに至ってようやくスタッフAちゃんも
最悪の事態も視野にいれた行動が必要と認識し、少し顔が青ざめる。

彼女は長女だ。
妹さんは首都圏に嫁ぎ移動したくても手段がない。

決めた。

「Aちゃん、あなたは今日帰らなくていい。
というか、叔父様さえよければ、
ご両親の消息がつかめるまでここに滞在してほしい。
他のことは考えなくていいから
まずはご両親のことだけ考えて。」

オーナーによる「Aちゃん捨て子提案」は
Aちゃん、叔父様夫妻にご快諾いただき、わたしもひと安心。

となれば、今日の行動は避けて通れない2点に絞られる。
わたしのガソリンがギリギリなので叔父様の車で出発だ。

まずは生家に向かい自宅の様子を確認。
見覚えのある駅前。
ここから景色ががらりと変わり始める。
毎月訪問していみなれた道路が
みるも無残ながれきの山になっている。

これは現実だろうか。

映画のセットにしては手が混んでいる。

とうてい写真など撮る気になれない。

何から手をつければ「復興」になるんだろうか。

訪問先の本社と工場もひどいことになっている。

Aちゃんの集落も例外ではない。
鳴り物入りで完成したギネスに乗るほどの最先端の堤防はすっぽり亡くなり
普段は見ることができない海が丸見えだ。
こんなに海が近いのか。
12メートルともいわれた津波。
Aちゃんのご両親はどんな思いで波をみたのか。
幸いにして、ご両親も遠方にいて
津波を見損なったまま元気でいることを祈るばかりだ。

そして次は遺体安置所へ。
できれば避けたいが、そうも言っていられない事態である。
この日はめずらしく吹雪。釜石にはめずらしい。
気温もマイナス4度。

ここに来るまで
沿岸でこの季節の降雪はむごい、寒いと思っていた。
しかし、
身元の判明しないおびただしい遺体を目の当たりにして考えが変わる。
ここに限り、今この寒さが必要なんだと言葉を失う。

検死が終わってないご遺体がほとんど。
暖かければ身元確認までに相当痛んでしまうことだろう。

Aちゃんのご両親の特徴を届け出る。
幸いにしてという表現が適切かはわからないが
該当する遺体はなかった。

後は当局からの連絡を待つだけだが、
もちろん連絡がこないことを祈るばかり。

わたしができるのはここまで。

後はAちゃんを叔父様に託し別れをつげ
再会を誓って釜石を後にする。

わたしの役目は
自分のフィールドで自分の仕事に邁進すること
つまり会社をキープすることが
司令塔の役目。


こんな時こういう時だからこそ

冷静に落ち着いて

そしていつも希望を忘れずに

スタッフの道を照らしていかないと。

それでこそ司令塔なんだから。



メーリングでスタッフ全員に事情を伝えたら
花巻のシェフが盛岡のお店を担当することになった。
「こういう事態だから僕が開けます」と力強い言葉。

妻のHちゃんは
「この日本の非常時、バイト代はいいのでお手伝いさせてください。」と

デザイン部のHくんも
「盛岡店でできることあったら何でもします。」と。

ソムリエールは「岩手結っこの会」で
夫である県議ヒロ君と民間支援にいそがしい。

山田で行方不明のお母さんがいるスタッフ夫妻を
今日は山田に連れて行ってくれた。

ガソリンがなかった私には本当に本当にありがたい。


わたしには
こんな素晴らしいスタッフ達がいるんだ。

この人たちを一人でも辞めさせることがあってはならない。
少なくとも地震なんかが原因で。


まずは
こんな時こそ立ち上げたブランドサルベージをいかさなくちゃ。
ブランドコンサルタントとして
困っている本気の中小企業を応援する。

そして
放射能や地震で心身不安定になっている人たちに
玄米と味噌と少しの野菜のパワーを
お伝えする。


その使命と活躍の場を
スタッフに与える。

不思議といいしれぬ不安はない。
不安材料はあげればきりがないけど
今考えてどうする?

そう
いつだって
ギリギリ乗り越えてきたはずだ。
裸一貫になって借金を背負ったときも
命さえあれば絶対なんとかなることを
わたしは体験で知っている。

そして

こんなときだから
わたしは率先して光になろう。


そしてみんなに気づいてもらおう。
誰しも胸にまばゆい光源を持っていることを。
自分で自分を照らせることを。
不安な闇が襲ってきたら
自分が発光すれば大丈夫なことを。

大丈夫大丈夫。
不安になってふりむいたら
さゆこさんが笑顔でいるからね。
そして時々光を援助する。

絶対大丈夫だから
どうか
心安らかでいてほしい。

最後に
この震災で命を亡くした方のご冥福と
行方不明の方々、避難所にいる方々の心身の安心と安全を
日々ご祈念いたします。

そして
復興にむけて
自分のできることから確実に行動してまいります。


今日もLOTS OF LOVE FOR YOU!

ハグハグハグ!

さゆこ


| さゆりのパカチョ日記 | 20:07 | comments(4) | trackbacks(0) |
COMMENT
sayu様
私とすれちがったかもしれませんね。
いきさつはブログにかきました。
(とうてい写真など撮る気にならない)
私もそうでした・・・
このブログ印刷しました。
笑顔でみんなの先頭にと思いながら険しい山の稜線を歩いているような気持ちになりそうなときにこの文章を読み返すために・・・
LOVEをいっぱいありがとう!
| okami | 2011/03/19 1:25 PM |
sayuさん

やっとつながったネット。PCで読みました。

…ちょち、涙が出そうになったデス。

生きていればこそ、できることがありますよね。


しばらく盛岡・花巻へ行くことは叶いませんが、また行くので、そちらもがんばってくださいね!


ウチはこの機会に、家族全員に玄米を食べさせることに成功しました(笑)

ではでは、また〜
| Kaorin | 2011/03/19 2:20 PM |
okami さん

妹さん夫婦ご存命で本当に本当に良かった。
わたしもブログを読んで涙がでてきました。

生かされた私たちができることを
淡々とやっていくだけですね。

わたしにできることはなんでもします。
早くokamiさんの塩風呂にはいって癒されたいです…
| sayu | 2011/03/22 8:19 AM |
kaorin

お風呂にもはいれたようでよかった。
仙台は都会な分、ダメージも大きくまだガスもこなくて被害甚大だよね。

それに比べたら岩手の内陸部は大したことはありません。燃料が不足した分は、自転車、徒歩、厚着でカバーできます。

うちも子供たちが何でも残さず食べるようになったよ。玄米も。

今の省エネ、利他の心がずっと続けば世の中ががらっと変わっていくよね。
それには痛みも時間もかかるけど…いたずらに不安にならずにできることをできるだけやっていこうと思う。

また会えるの楽しみにしています。
| sayu | 2011/03/22 8:24 AM |
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